名鉄岐阜市内線跡 徹明町と美殿町、二つの元・鉄道のまち

今から10年以上前の事、親に「路面電車に乗ってみたい」と頼んで岐阜まで連れて行ってもらった。
このときは市内線を岐阜駅から忠節までの区間に乗った。
自分にとっては初の路面電車だったが、以降大学進学で岐阜に通うようになるまでは行く機会もほとんど無く、結局最初で最後の岐阜市内線乗車となった。
現在はすべての路線が廃止され、郊外に路線跡が見られるぐらいで、岐阜駅周辺に市内線の痕跡はほとんど残っていない。

学生時代は主にバス通いをしていたが、ルートの多くの部分が元路面電車の通るルートと被っていた。
とはいえ、日常の中でそれを感じる機会は多くない。
遠くから進学してきた友人は路面電車が通っていたことを知らない、知っていてもいつも乗るバスのルートがその路面電車の跡である事に気づいていない人がほとんどだったと思う。
自分も朝大学へ行って夜帰ってくるのでは中々観て回れるタイミングも無く、講義が暇な学期にたまにレンタサイクルを借りたりして、部分的に廃線跡を巡っていた。

今でも岐阜には遊びに行くが、この前は買い物ついでに柳ヶ瀬周辺の廃線跡を歩いてみた。

かつては、JR岐阜駅前、名鉄岐阜前に電停があった。
JR側は駅北の道路の中央にホームがあった。
↓は過去に周辺を撮影した写真で、当時の駅位置は交差点の奥側付近と思われる。

市内線の駅は「岐阜駅」ではなく、「岐阜駅前駅」という名前だった。
渋滞などで名鉄岐阜駅(当時は新岐阜)で折り返しになってしまうこともあり、
岐阜駅の再開発のため休止されている内に、市内線ごと廃止になってしまった。


「徹明町」
岐阜市は路面電車が無くなった事だけでなく、再開発で駅ビルが建て替わったりして、ここ数年でかなり姿を変えている。
名鉄岐阜駅から北に徒歩10分ほど進むと、ドンキホーテ柳ヶ瀬店が見えてくる。
ドンキホーテが入っているビルは閉店したメルサ跡。(百貨店の類は高島屋を残して全滅。)

数年前は徹明町にドンキホーテがオープンするという事で、ビル周りへの新規出店が盛り上がった。
しかし今はドンキホーテの向かい側にあった駐車場は閉店、交差点角に新しく入ったパン屋は閉店してファミマに、ドンキの入るビルのテナントの内、外のクレープ屋は閉店、上階のペットショップも閉店。
ダイソーなどは残っているが、客足は少なくどこか世紀末感が漂う。
ビルのテナント案内の看板も塗りつぶされた跡だらけで痛々しい。

ドンキ前の徹明町交差点が、かつては市内線が各方向へ分岐する要となる場所だった。
西方向へは忠節方面でその先は黒野などに繋がり、東は美濃町線、南側には岐阜駅。
北側にもかつては柳ヶ瀬や金華山の麓を通って長良へ、さらに昔は高富までレールが延びていた。
市内線の忠節までの区間が廃止されたのが2005年に対し、北へのルートはもっと早く1988年に廃止されている。

ドンキ南側にあるのは「じゅうろくてつめいギャラリー」
(十六銀行HP : http://www.juroku.co.jp/aboutus/tetsumei_gallery/about_tetsumei_gallery.html)
十六銀行の旧支店跡。

ドンキ(メルサ跡)の横では、大型ビルの解体作業が進む…
元百貨店の立派なビルが並ぶが、老朽化が進む中では撤去されていくのも仕方がない。
しかし、撤去した後はどうなるのか。
大型商業施設がドンキだけでは駐車場も過剰供給であるし。

徹明通りはかつては路面電車が通り、今でも多くの車が通る東西方向への交通網として重要な路線である。
ただ、徹明町から東方向へ向かっていた美濃町線は、元々は柳ヶ瀬を起点としていた。
徹明通の拡幅に合わせて、起点を柳ヶ瀬から徹明町に移した経緯がある。

そこで、かつての美濃町線の起点であったという美殿町へも向かってみることにした。


「美殿町」
徹明通りよりも北、柳ヶ瀬通りの入り口まで歩いた。
写真左手が、柳ヶ瀬商店街の玄関となる。

美殿町は柳ヶ瀬の本通りから東側にある地区で、徹明通からは2本北側の路地になる。
柳ヶ瀬商店街の正面から真っ直ぐ東に延びていき、梅林公園南側を通って、徹明通から繋がる国道248号へ繋がっている。

2車線も無い細い路地であるが、かつて美濃町線は当初こちらの美殿町を通っていた。
郊外から来た列車が、繁華街の中心までダイレクトに入ってきていたという事で、車社会化、郊外化が進んだ今の岐阜からは信じられない。

いかにも歴史ありそうな店、新しく入ってきたであろう店、結構色々とある。
もしかしたら、電車が走っていたころからの店舗も結構残っているのかも?

配布されているマップにも、しっかり路面電車の事が描いてあった↓

歩いていると、道路沿いに真っ赤なポストを発見。
この郵便ポスト、1908年に設置されて未だ現役との事。
胴体の上下が回転でき、道路状況に応じて取り出し口、差し出し口を別向きにできるのがウリ…らしい。
美濃町線の開業が1911年、徹明通への切り替えが1950年の事なので、このポストは美殿町における鉄道の歴史を最初から最後見ていたことになる。

柳ヶ瀬からスタートして1つ目の交差点まで行くと、もう地名が変わり、「美園町4」交差点付近。
ここまで来ると商店は減りはじめ、徐々に住宅街の様相を帯びてくる。

花壇のもじゃもじゃに覆われてしまった水飲み場。
使う人はいなかったのだろうか。

さらに歩いて、梅林公園の南側、「殿町2」交差点付近。
この先を進むと梅林駅にたどり着く。
梅林から柳ヶ瀬までに、「美園駅」「殿町」と2つの駅があったそうだが、いつごろの時期に存在していたか、残念ながら詳しくは不明らしい。

ひとまず、ここまでで旧美濃町線区間の探索を終了。
美濃町線跡はとても長いので、いつか最後まで通しで回ってみたいけれど、その場合は車が欲しいか…


改めて思うのが、郊外と岐阜の中枢を結んでいた公共交通が無くなってしまったのは勿体ないな~という事。
軌道が無くなった今車で走っても狭いと感じるので、仕方がない部分もあったのだろうが…
路面電車を廃止して車を優先した結果、岐阜の中心から人が離れて衰退が加速しているという。
大げさに言えば、車で通過していく人たちは走りやすくなって得したけれど、電車を使って街に来ていた人を切り捨ててしまった。
LRTで成功している街を考えると、歴史ある路線だっただけに皮肉なもの…