ここ1、2か月忙しく、あまりにも有給休暇を使っていなかったのを上司から指摘されたので、1日休みをとった。
だったらそんなに沢山仕事を与えるなよとツッコミたいのも山々だが。
しかし急に休んだので特に予定も無く、近場でどこかに行ってみるにも秋の行楽には微妙な時期の平日…
かと言って、せっかくの休みをゴロゴロして終わるのも勿体ない。
こんな感じだったので、前から気になっていた知立駅周辺の廃線跡を眺めに行ってみる事にした。
最近でも知立へ向かう機会は何度かあったのだが、完全な趣味目的では初めて。
知立駅は名鉄本線と三河線の分岐駅。
三河線は途中駅であるものの、直通しておらず、山線と海線で運転系統も分かれている。
当初は名鉄本線は愛知電気鉄道、三河線は三河鉄道の路線だった。
元々現在の位置に知立駅は無く、三河鉄道のルートも直線だった。
その頃は、本線と三河線が交差する地点付近に新知立駅、三河鉄道の知立駅(現・三河知立駅)で乗り換えをする様になっていた。
また、三河知立駅から名鉄本線側へとつながる貨物線として作られた連絡線があり、旅客列車の直通のために使われた歴史もあるらしい。
主な目的となる廃止区間は、三河線の「三河知立駅」から名鉄本線への連絡線の跡、そして三河線の直通区間の跡の2か所。
1.知立駅の周辺
名鉄本線で名古屋から知立へ。
現在、知立駅は高架化事業の真っ最中。
仮線への繋ぎかえが進み、駅周辺でも関連工事が各所で行われている。
河和線の太田川駅の様に、3階構造の駅になるとの事。
とはいえ、完成は2023年の予定なので、まだ少し先。
知立駅のすぐ南には踏切があるが、主要道路ゆえ交通量は多く、本線、三河線を跨ぐためずいぶんと長い。
主要道路が開かずの踏切では問題なので、高架化が望まれるのも必然だったのだろう。
古い町並みなので、主要道路とはいえあまり道も広くない。
現在は仮線へ切り替わっているので踏切も仮設となっているみたいだが、三河線、本線下り、本線上りと、3つの踏切が連続するカオスな状態。
踏切の途中で車が詰まったりしては困るので、交通警備員が絶えず誘導をしている状態となっている。
2.三河知立駅~連絡線跡
商店街を抜けて、三河知立駅の付近へ移動。
知立駅からあまり距離も無いローカルな駅だが、高架化事業により移転になるとの事。
駅のすぐ近くの道路は通過交通が多く、歩道が無いようなせまい道で踏切待ちの車が列を作っている。
ここも高架化事業で便利になる場所の1つだろう。
三河線踏切のすぐ南側を本線の高架が跨いでおり、現在は上下線が元々の盛土と仮線用の高架とで別れた状態になっている。
まだ何か工事が進められている様子が見える…
三河知立駅の東側まで行くと、三河知立駅から延びてきていた線路跡が見つかる。
下の写真で、道路の左側が線路跡。
現在は駐車場として利用されている?
管理者は「株式会社デンソー」となっていた。
踏切跡にはレールが残っていたが、踏切の前後はすでに撤去されていた。
住宅街の道路な上に交通量も多いので、踏切だった部分は撤去工事も難しいのだろう。
この先が名鉄との合流地点。
整地した跡はあるものの、まだ何かに利用されている様な形跡は無い。
3.三河鉄道旧線跡
続いては海線側へ。(名鉄本線を挟んで三河知立駅と反対側のエリア)
知立~三河知立間の踏切。
踏切のすぐ横を本線の高架が通り抜けている。
写真左手のカーブの先に、山線海線の合流点がある。
現・知立駅で合流する様になる前はカーブせず、三河線の線路は直進していた。
高架化事業に携わる会社の事務所が設置されていた。
旧線跡、及び線路に囲まれるデルタ地帯を利用した「名鉄テニスクラブ」。
海線側から。
山線(三河知立駅側)と異なり、こちらは複線となっている。
かつてはこの先にまっすぐ線路が延びていたはず。
名古屋からも、名鉄特急に乗ってこればあっという間の距離。
駅を高架化して3階構造にしようなんて大プロジェクトが進む横で、大昔に使われていた旧線の跡が残る様子は不思議。
三河知立駅からの連絡線跡はまだ痕跡が残っていたが、すでにレールは撤去されていたし、三河知立駅自体も移転が決まっている。
いずれは再開発も進むのだろうか。
知立でのお昼ご飯 → 愛知県知立市 うなぎの老舗「井谷家」
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